監督インタビュー監督インタビュー

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監督インタビュー

「遺影」をテーマに映画を撮ろうと思ったきっかけは何ですか?

横田監督:
亡くなった人の写真というのは遺影以外にも色々とありますよね。旅先で撮ったスナップ写真や、七五三などの節目に撮った記念写真。最近の葬儀場では故人の写真をデジタルでスライド写真にするところもあるようです。
遺影を作るときは数ある写真の中から一枚を選び、額縁に入れて鴨居に掲げます。そうすると、その写真は宗教的で神聖なものに変わります。お墓や仏壇と同じように、遺影も「あちらの世界」に触れるような存在だと思います。
私は寺の住職でもありますので、毎日のように檀家さんのお宅へ伺います。そこでたくさんの遺影写真に出会い、檀家さんから亡くなられた方の思い出を聞いてきました。誰が、いつ、どうやって遺影写真を選ぶのか。そこにはそれぞれのドラマがあります。そんな檀家さんたちのお話を映画にしたいと思いました。

ドキュメンタリという形にした理由を教えてください。

横田監督:
2013年に「加奈子のこと」という映画を作りました。妻を介護の末に亡くし独りで暮らす男性の話で、私が脚本と監督をつとめました。あるとき、兵庫県の病院から上映依頼がありました。お医者さんや看護師さんたちは死の現場には多く立ち会いますが、そのあとに遺された家族については知る機会が少ないので、研修も兼ねて上映されたいとのことでした。上映会は病院の研修室で行われ、皆さんお仕事の合間を縫って仕事着姿で見に来られるんです。そんな方たちとお話しているうちに、ふと「人の生死に深く関わって働くこの方たちに、自分が語れるものってあるのか?」という心境になってきまして…。自分の人生経験の乏しさを認識したわけです。そのことがきっかけで、今後何をテーマに映画を撮るべきなのか色々と考えました。そしてもし自分に語れることがあるとすれば、長年触れ合ってきた檀家さんのことしかないのでは、と思い至りました。私は小学生の頃から寺の手伝いを始め、20歳の頃から映画を撮り続けていますが、檀家さんに本格的にカメラを向けたのは初めてのことです。

普段の映画製作との違いはありましたか?

横田監督:
カメラとはある種暴力的なものです。役者さんではなく檀家さんにカメラを向けるという行為は、いざやってみると思っていた以上に抵抗がありました。僧侶と檀家さんの関係は映画「男はつらいよ」に出てくる「とらや」の面々と笠智衆演じるお坊さんとの距離感が理想なんて言われたりします。友達とも違いますし、つんとすました関係でもない。深入りはしないけれど、いつもふっと側にいるような関係。そこにカメラを持ち込むのはやはり勇気がいりました。檀家さんたちは意外とリラックスされてましたけど、撮影が長引くと「もうええよ」と言われてしまいますし、何度も撮り直すわけにもいきません。なにより撮影が終わってもつきあいが続くわけで…。役者さんを使って映画を撮るのとは違った緊張感はありました。

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こだわったのはどんな部分でしょうか?

横田監督:
ひとつだけこだわったのは「こだわらない」ことです。内心では以前に聞いたことがあるお話をカメラの前でしてほしいと思っても、それは口に出さず自然の流れに任せました。
お坊さんの役目は「傾聴」だとよく言われます。人の話を聞く力のことですね。ところがお坊さんは座の中心で話をさせてもらうことが多い。ついつい自分のことばかり話すくせがついてしまって。私も人のことは言えません(笑)。今回はあれこれ言わず傾聴に徹することに努めました。
遺族の方は亡くなったご家族について決まった思い出話を持っていることが多いです。お宅に伺うたびに同じ話をされる方もおられます。何度も人に話すことで話がどんどん洗練され、完成されていきます。そういった物語は本当に興味深く、不思議なほど人の心を打つものです。

決まった思い出話があるというのは、興味深いですね。

横田監督:
亡くなられた人の思い出話って、その方が元気だった頃や若い頃のことなどいろんな時の話がありますが、お坊さんに対しては亡くなる直前の思い出話をされる方が多いんです。
52歳の息子さんを看取られたご両親が、お会いするたびに私にされるお話があります。
ホスピスにいる息子さんから「ノートを買ってきてほしい」と頼まれ、下の売店で買っていったそうです。すると「このノートは行間が気に入らない」と。そこで近所のお店で行間が広いものを探して買っていったら、また気にいらないと。何度もノートを買い直したそうです。結局、息子さんが亡くなられた後にそのノートを開いてみたら、何も書かれていなかったというお話なんです。他の人が聞いたら何でもないエピソードかもしれませんが、ご両親の様子を見ていると、どうやらそれが嬉しかったということが伝わってくるんです。何気ないけど大切な物語は誰しもが持っているものだと思います。

シリアスなテーマでありながらほのぼのとした雰囲気は当初から意図されていたのでしょうか?

横田監督:
僕はテレビのドキュメンタリ番組が大好きでして。どんどん録画したものが溜まっていき困っています。よく見るのはNHKの「ドキュメント72時間」と「新日本風土記」です。どちらの番組もほのぼのと気軽に見られる内容で、いつかこんなドキュメンタリが撮りたいなあと思っていました。遺影というテーマをシリアスに掘り下げるのではなく、遺影を軸に色々な家族の物語を垣間見られるような作品になっていると思います。7つの遺影もその点を考慮して選びました。

「遺影、夏空に近く」というタイトルにはどんな意味が込められていますか?

横田監督:
ある宗教学者が古墳についてこんなことを記されています。「天に向かって屹立する墳丘は、人工的に造られた山以外の何ものでもない。平野に山を造成することで、霊魂の居場所を人為的に作り出そうとしたと考えることはできないだろうか。」 どうも人間は亡き人を高い場所に祀りたくなるようです。遺影もまた似たところがあります。少し高い場所が落ち着くというか…。ただしあくまでも「少し」高い場所なんです。空のかなたではないんです。見上げれば視線を交わすことのできる距離。そこに遺された人の願いがあると思うのですが。どうでしょうか。

仏教では遺影の祀り方に決まりがあるのでしょうか?

横田監督:
うーん、とりあえずうちの宗派、融通念佛宗にはありません。あったら怒られますが(笑)。檀家さんでも遺影を高く掲げることに抵抗がある方がおられます。「どうも高く掲げると完全にご先祖さんになってしまうようで寂しい」とおっしゃるんです。死別の悲しみを乗り越えて、日々を暮らしていくには、それぞれの遺影との接し方があります。祀り方は自由にしてもらうのが一番です。
仏教用語に「無常」という言葉があります。生きているものは常に変化していきますが、亡くなった人もまた無常で、同じ遺影でも見る人の心境によって笑っているようにも怒っているようにも見えてきます。たとえ笑顔の遺影写真であっても、ときによってその表情が楽しそうにも寂しそうにも見えるでしょう。
そういう意味で、遺影は過去のものではないと思います。

監督ご自身はどんな遺影写真を撮りたいと思われますか?

横田監督:
そうですねえ・・・
尊敬する蜷川幸雄さんが亡くなられたときに、娘の蜷川実花さんが撮られた写真が遺影になっていたのですが、とてもかっこよかったです。でもまあ、僕は普通の遺影写真でいいですよ。
生前に遺影を撮るというのは良いことだと思います。それは単に準備というだけではなくて、自分の人生を見つめ直すとう意味で。うちのお寺でも一般の方向けに生前に戒名を与える「伝法」という行事があります。五日間の修行中、白装束を着て、戒名をもらい、一度自分の人生をリセットするわけです。生まれ変わった気持ちでまた日常に戻る。生前に遺影を撮るのも、同じように人生を見つめ直すきっかけになると思います。

最後にメッセージをお願いします。

横田監督:
「遺影、夏空に近く」は、見る方それぞれに感じ、また語り合える映画だと思います。
自主映画ですので色々な場所で上映していただき、たくさんの方に見ていただければ嬉しいです。
上映依頼も随時受けつけていますので、どうぞ宜しくお願いします。

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横田丈実監督インタビュー 2017.07